弘安五年(1282)、新居郷の地頭職として金子頼広の名が見え、暦応元年(1338)には金子康弘が細川氏の味方となって生子山城を攻略しています。
のち新居郡内では、高尾城主・石川源太夫の暗殺を機に、地頭間の派閥争いが起こり、これを鎮めたのが金子元成で、高峠城主・石川氏の配下で勢力を拡大していきました。
天正十三年(1585)、小早川隆景・吉川元長の侵入に対し、金子元宅を総大将として高尾城に籠り、金子山城には若干の留守兵が守っていました。
元宅は西条の野々市で討死、生き延びた弟・八郎ら残党が金子山城に籠り、最後の一戦を試みるのも、ついに落城となるのです。
『参考文献を参照』
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