暦応元年(1338)、伊予国の河野通政が、讃岐国の細川氏の侵入を防ぐ為に、土肥義昌に命じて築かせたお城です。
康永元年(1342)、足利方の細川頼春が伊予・讃岐・阿波・淡路の軍勢を率いて攻撃、その攻撃目標となったのが仏殿城でした。
お城は落城、貞治三年(1364)、康暦元年(1379)には細川頼之にて落城し、天文八年(1539)には細川持隆により落とされています。
元亀三年(1572)には細野城主・蔦田大和守が攻撃し、城主・妻鳥采女はよく防ぎ、続いて阿波の三好長治が攻撃するのです。
天正十年(1582)、土佐の長宗我部元親が攻撃、城主・河上安勝は本丸に火を放して自害、続いて小早川隆景の攻撃で落城し、ついに廃城となるのです。
『参考文献を参照』
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