松山自動車道、「大洲IC」から国道56号線を東へ、新谷大橋から北の集落に入ると新谷小学校、ここが新谷陣屋(にいやじんや)だったんだよ。 2008年8月、暑い四国は南へ走る、なかなか宇和島へ着かないよ。
寛永十九年(1641)、新谷藩初代藩主となった加藤直泰は、大久保川を付け替えて、藩主や家臣の屋敷・町人住区等の区割りを行い、庭園からの水を防火用にするなど、陣屋の体制を整えました。 新谷藩は、武術とともに学問を奨励し、中江藤樹の教えや和算の普及に努め、明治四年の廃藩置県まで続きます。 この陣屋跡には、新谷小学校の前身である「令教小学校」が設立され、この「令」の字は、九代藩主・加藤泰令の一字が付けられたそうです。 『現地案内を参照』