松山自動車道、「内子五十崎IC」を出てすぐ、比高50mの公園には龍王城(りゅうおう)がありました。 2008年8月、暑い四国は南へ走る。 公園かな温泉かな、一人じゃもったないなぁ。
応永二年(1395)、久保高実が地頭として龍王城を居城とし、数代続いて滅びます。 高実は、南北朝時代には、伊予の南朝方として合田貞遠らと共に活躍した人物です。 戦国時代、床崎氏や城戸氏が城主となり、ことに城戸直盛・直宗父子の時代には曽根城主・曽根宜高と戦い敗れ滅亡するのです。 『参考文献を参照』