長崎城
福井県坂井市丸岡町長崎

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  北陸自動車道「丸岡IC」を西へ、一本田交差点で国道8号線を越え、そのまま西へ走ります。

1.2kmぐらいで南へ曲がり、しばらくすると称念寺、ここが長崎城(ながさき)と云われています。

 
  称念寺は時宗の長崎道場と呼ばれていました。

新田義貞公の墓所と大きな石碑があるよ。

浪人中の明智光秀がお寺を訪ね、門前に寺小屋を建て生活していたそうな、江戸時代に松尾芭蕉がそれを詠んでいるんだ。

丸岡城の近くだね、ここは必ず訪れたいね。
 

 
南北朝時代は、南朝方の重要な拠点でした。

文明十二年(1480)、国外に追放されていた斯波義良、甲斐八郎が越前に侵入しようとした時、朝倉方である長崎城・金津城・兵庫城・新庄城を攻め落とします。

これに対抗する為、朝倉勢は長崎城に出陣して勝利を収め、斯波氏や甲斐氏を越前から追いやりました

『参考文献を参照』

 

  
  「新田義貞公の墓所」

暦応元年(1338)、南朝方の新田義貞は灯明寺畷の戦いで討死、その遺骸は時宗の僧八人に担がれて、称念寺に手厚く葬られました。

徳川氏は新田氏が先祖にあたるので、その菩提所を大切にしています。

でも版籍奉還で寺領は没収、無檀家で無柱になるにです。

大正十三年、歴史を惜しむ人々の力で再建されたんだよ。