龍門寺は正安元年(1299)、悦巌崇善によって創建されたと云われています。
この地は、府中の南端にあたることから、軍事上の要所とされ、天正元年(1573)には信長が朝倉攻めの際に、ここを本陣に構えました。
朝倉氏滅亡後、同2年には越前の門徒領国化をねらう一向一揆勢によって支配され、この討伐のために、同3年信長は秀吉・光秀らに龍門寺城に攻め入らせ、再び龍門寺城に入っています。
その後、信長は府中とその近辺の10万石を、府中三人衆(不破光治・前田利家・佐々成政)に支配させ、龍門寺城には不破光治が入りました。
天正13年(1585)に若狭の木村常陸介が府中を支配し、城内の南隅に龍門寺を再建しました。 現在、南部の掘跡は墓場となっています。 また、本堂や台地上にあって、平城の名残りがあります。
『現地案内を参照』
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