武田氏館
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福井県小浜市城内
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中国自動車道・舞鶴若狭自動車道を北へ走ります。
「小浜西IC」から国道27号線を東へ、小浜駅の西には武田氏館(たけだし)がありました。
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ここは小浜小学校の南、空印寺だね。
背後が後瀬山城、武田氏のお城で、麓が館だよ。
甲斐の武田氏と同族の安芸国武田氏がいました。
足利義教の時、一色義貫を討伐、若狭の領地が与えられたことが、若狭武田氏の始まりと云われています。 |
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武田元光を初代城主とし、信豊・義統・元明を続きます。
元光の父・元信は若狭守護として勢力を持っていたのですが、家臣・逸見氏が丹後守護の延永春信と組んで叛乱を起こし、その力は衰えていました。
京都では、細川高国が足利義晴を擁立、武田元光は高国に従い、丹波の細川家を攻めています。
阿波の三好勝永と柳本賢治らが京へ攻め込んだ時、武田勢は大いに戦うのですが敗北、これを知った丹後勢が若狭へ攻め込むのです。
元光は朝倉氏に援護を求めるなど、武田元光は自信をなくして守護職を信豊に譲るのです。
『現地案内を参照』
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「八百比丘尼の伝説」
昔、高橋長者という人が、海中の蓬菜の国へ招かれ、人魚の肉をもらってきました。
長者の娘が食べたところ、八百歳になっても娘のように若々しく、困った娘は全国を行脚して、最後に若狭小浜に帰り、洞穴に入って死を待つのです。
ちょっと怖い話だけど、2750年まで若く健康でいたいような。 |
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