関ケ原
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岐阜県不破郡関ヶ原町
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「大谷吉隆(吉継)の陣跡」 親友三成の懇請を受けた吉隆は、死に装束でここ宮上に出陣してきます。 松尾山に直し、東山道を見下ろせるこの辺りは、古来山中城といわれるくらいの要害の地でした。 九月三日の到着後、山中村郷士の地案内と村の衆の支援で、浮田隊ら友軍の陣造りも進め、十五日未明の三成ら主力の着陣を待ったと云われています。 |
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「小西行長の陣跡」 |
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「宇喜多秀家の陣跡」 |
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「島津義弘の陣跡」 |
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「本多忠勝の陣跡」 |
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「松平忠吉・井伊直政の陣跡」 中山道の敵を目標とする福島・藤堂・京極隊、そして北国街道を黒田・竹中・細川などの隊、その中央にあたるこの地に家康の四男・松平忠吉とのちの彦根城主・井伊直政が約六千人の兵で構えます。 午前八時頃、軍監、本多忠勝より開戦を促され、直政、忠吉を擁して前進し、宇喜多秀家の前面に出るのですが、先鋒は福島正則であるといわれ、方向を転じて島津義弘の隊に攻撃し、開戦の火ぶたが切られました。 |
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「福島正則の陣跡」 |
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「田中吉政の陣跡」 田中隊は、ここから石田隊に向かって兵を進め、笹尾山麓より討って出る先手の兵と激突。 本体が二、三百米ほど引き下がる。 そこに他の東軍諸隊の兵が食らいつく。 というように白兵戦が展開されたのです。 三成が自分の意志で、残党狩りの吉政配下の兵の手に落ちたのは、合戦後の六日目のことでした。 |
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「脇坂安治の陣跡」 安治は、関ヶ原の戦い当時は洲本城主で、かつて賎ケ岳七本槍の一人として名をあげた武将です。 東軍に通じていた安治にとって、小早川の裏切りは願っても無いことでした。 しかも東軍が優勢に転じる頃合いを見計らい、みずから槍を振るい、大谷隊の側面に、先頭をきって躍り込んでいくのです。 |
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「徳川家康最後の陣跡」 |
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