今高野山城
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広島県世羅郡世羅町大字甲山
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山陽自動車道、「尾道IC」から国道184号線を北へ走ります。
甲山町と世羅町の境近く、世羅町役場の南には標高509m(比高180m)の山頂に今高野山城(いまこうやさん)があります。
2006年10月、秋の旅。 備後の国、昭和の戦争の跡、今も続いているみたいだよ。
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甲山を中心として世羅郡の東半分は、鎌倉時代から紀州(和歌山県)高野山領の大田荘であった。
国道を走ると、山頂に天守が見える、簡単に登れると思ったけど、大変大変。
岡山県倉敷市の日幡城のページ、確かに備後甲山城主・上原氏が出てくるよ。
山内氏も出てくる、一豊と関係があるみたいだね。 |
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この山を古城山といい、十六世紀の戦国時代に今高野山城があったところです。
ここから南百mの平坦な頂上部が本丸で、ここは三の丸跡です。 本丸を中心に十数段の郭が配置されていましたが、その施設については明きらかではありません。
室町時代、山内道通が築城したと云われています。 その後、上原氏(和智氏)が居城し、今高野山を厚く保護し、その復興につとめました。
『現地案内を参照』
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「今高野山総門」
弘仁十二年(821)、弘法大師が開き、長く中国地方の真言密教の大道場であった。
龍華寺を中心に十二院が建てられ、今では福智院、安楽院と龍華寺を残すのみである。
ここから上ればよかった、東のふるさと劇場がある所から上ったよ。 |
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「本丸」
とにかく歩いた、山をいくつも越えてぐるりと回る。
下から見えた天守は二の丸、その手前に本丸がある。
甲岩といわれる奇岩、とにかく大きい岩だよ。
お城の建物自体はどこにあったのかな。 |
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「甲山防空監視硝(かんししょう)」
やっと着きました、この上が天守だよ。
昭和16年から始まった太平洋戦争、空襲に備えて県内の要所に監視硝が造られた。
毎日8人が詰め、二時間交代で昼夜通して監視していた。
昭和20年、広島に原爆が投下された時、飛来機をいちはやく発見し通報、爆発のものすごい閃光を目撃してたんだ。 |
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