高杉城
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広島県三次市高杉町
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中国自動車道、「三次IC」から国道375号線を東へ走ります。
廻神交差点から432号線を東へ、1.3kmほどで知波夜比古神社、ここが高杉城(たかすぎ)の跡です。
2006年10月、秋の旅。 毛利氏と尼子氏の境、国と国の境は迷いのお城、今では旅の風景なんだよ。
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三次の街から馬洗川(ばせん)に沿って東へ向かう。
ここは知波夜比古神社(ちはやひこ)、お城だよ。
この地方で勢力を持った江田氏(広沢氏)の支城、神社の神職を兼ねていた祝氏が城主だね。
山陽側の毛利氏、山陰側の尼子氏に挟まれ、三吉氏・和智氏・江田氏はどちらに付くか迷っていたんだ。 |
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戦国時代の三好盆地は、山陰側の尼子氏と山陽側の大内氏、毛利氏が激しく抗争した地です。
その中で、この地方の武将である三吉氏、和智氏、江田氏はどちらの勢力につくか不安定な日々でした。
天文二十二年(1553)、尼子氏に味方した江田氏は毛利元就の攻撃を受けました。 江田氏の支城であった高杉城には城主祝甲斐守・治部大輔を中心に約1000人が籠城していました。
この時代には、城はほとんど山頂に築かれていましたが、知波夜比古神社の神職を兼ねる祝氏は、神社を中心にこの丘を三重の空堀と土塁で囲み城としたのです。
7月23日、この城の東北(塩町)から毛利元就、隆元の軍勢、西から吉川元春の兵士が攻めかかり、祝氏方は全滅するのです。
『現地案内を参照』
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「知波夜比古神社」
1000人が籠城。
東から毛利元就・隆元、西からは吉川元春が攻めかかる。
ついに600人が討ち取られ全滅。
お城の南山麓に城主・祝氏を供養する宝篋印塔が残るよ。 |
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弘治2年(1556)、毛利元就・隆元父子により本殿が再建されました。
神社の境内を中心に、南北70m、東西50mを三重の堀が囲む、所々に石積があるらしい。
これはお城の石かな、所々じゃないから神社の石積みかな。 |
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「芸備線」
南には3千の古墳がある「みよし風土記の丘」。
芸備線は広島市から三次市、そして岡山の新見市まで山間を走る。
なんと新見から津山を通り、姫路までつながっているよ。
車窓の風景は山ばかり、一日かける旅、おにぎり2つづつ、そんな旅がしてみたいよね。 |
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