赤松円心館
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兵庫県赤穂郡上郡町赤松
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相生駅から西へ、千種川沿いの国道373号線を北上します。 左に苔縄城、右に白旗城を見てすぐ赤松の集落に入ります。
2005年、まだ夏は遠い季節だった。 やっと真夏の399城、この地には赤松円心の館跡があります。
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「苔縄城の碑」
赤松円心の話は、沢山のページに書いたよ。
実際に会ったこともないから、どんな人だろう。
同じ場所に立っても、分からない。
でも現在の人の心までも動かしている人だよ。 |
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正中元年(1324)、後醍醐天皇は日野俊基、資基、土岐頼貞、多治見国長らと鎌倉幕府討幕の計画を立てました。 しかし、土岐頼員の密告により計画は失敗、日野資基は佐渡に配流されました。
元弘元年(1331)、後醍醐天皇は再び討幕を図るのですが、これも吉田定房の密告により日野俊基・円観・文観(もんかん)・忠円らは捕えられました。 追い詰められた天皇は御所を脱出し、笠置山で兵を挙げるのです。
後醍醐天皇の皇子・護良親王は吉野で、楠木正成も河内赤坂城で援護するのですが、幕府軍は笠置山・吉野・下赤坂城を落とし、天皇と千種忠顕は捕らえられて天皇は隠岐に流されました。
そこで護良親王に仕えていた赤松円心の三男・則祐が、護良親王からの挙兵令旨を持ち帰り、赤松一族が挙兵したのが苔縄城、その後足利尊氏らと六波羅探題を陥落させるのです。
『参考文献を参照』
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円心館跡は東西105m、南北56mの平らな台地上にありました。
山麓にはグランドのような場所、そこが館跡と案内はあるよ。
裏山には畑、ここも昔の面影を残しているのかな。 |
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「五社八幡宮」
一枚づつ絵を見る、名前を見る。
源平から戦国時代の武将がずらりと並んでいる。
一度に集まると、どんな話題になるのかな、聞いてみたくなるよ。 |
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「宝林寺」
千種川を西へ渡ると宝林寺、「赤松三尊像」があるお寺です。
でも改修中、奥に石積みがあったよ。
ここも館跡と云われているから、館と関係あるのかな。 |
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「白旗城」
お城は向こうの山だよ。
建武三年(1336)、足利尊氏が九州へ逃れている時、新田義貞軍六万を、ここで防いでいたんだよ。
6月の風景、夏はまだまだと思っていた頃だね。 |
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「苔縄城」
少し南で橋を渡る、正面に見える山だよ。
「苔縄城 後編」、いつ行こうかな。
考えると登れない山、それが苔縄城。 |
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「もう夏」
円心が挙兵したのは、どこだったのかな。
はっきりと分からないから、面白い。
2005年、今ではすっかり夏になっているよね。
あと一つ、真夏のお城はどこに行こうかな。 |
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