尼崎城
兵庫県尼崎市城北城内・南城内

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  名神高速道路、「尼崎IC」で降りて13号線を南へ走ります。 2号線を越えると「阪神電車・尼崎駅」が有り、駅のすぐ南東あたりが尼崎城(あまがさき)になっています。

阪神工業地帯の真ん中、この地でも沢山の戦いがありました。 都会に埋まる出来事は小さな天守に願いを託しているのかな。

 
  明治二年(1869)、廃城令で全国で144のお城、126の陣屋が廃止されました。

この尼崎城の石垣も港改修に使われたそうです。

小学校の校庭に小さな天守が築城されました。 小さくてもこの姿を永久に残せるように願いが叶うといいよね。
 

   
 


江戸時代、尼崎城は大阪城の西を守る役目のため、諸代大名戸田氏鉄が元和四年(1617)から数年かけて築いたものです。 領地は4郡(川辺・武庫・兎原・八部)111村の広さで、5万石でした。

城域は現在の北城内、南城内の約300m四方あって、西は庄下川、東は大物運河を外堀とする三重の堀に囲まれ、本丸(現在の城内小・中学校庭内)には、高さ18mの四層の天守閣(現在の城内中学校正門東付近)が築かれていました。

その姿は海上に浮かんでいるように見えたので、浮城とか琴浦城などと呼ばれたそうです。


『現地案内を参照』

 

  
城址公園
  「城址公園」

元和四年(1617)の江戸時代、尼崎城は大阪城の西を守る役目で戸田氏鉄が四層の天守を築きました。

寛永十二年(1635)、戸田氏鉄は美濃大垣に転封、代わって青山幸成が遠江掛川から入り4代続いています。

正徳元年(1711)、青山幸秀が信濃飯山に移り、遠江掛川から松平(桜井)忠喬が入り、7代続いて明治を迎えています。
   
  天守閣の模型は、昔の写真をもとに木型を作り、コンクリートで固めたもので、昭和15年(1940)4月から7月まで1学期間かけて教職員と児童が一緒になって苦心して製作されたものです。
  

  
変らずの瓦
  「変らずの瓦」

桜井神社には尼崎城天守の棟瓦があります。

男性は右側、女性は左側の瓦をさわって、社殿を右回り、左回りに願をかけると叶うらしいよ。

「いつまでも変わらない様に」と願い事をしてみようかな。
 

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