尼子山城
兵庫県赤穂市高野

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  新幹線相生駅手前を南へ、相生港から250号線を赤穂方面(西)へ走ります。 高取峠を越えるとまもなく高野交差点で西へ、そのまま千種川沿いに1.5kmほど行くと、北側には標高259mの尼子山城(あまこ)があります。

その名の通り出雲の国・尼子義久が築き、毛利氏によって落城したといわれています。

2003年10月、「すっかり秋ですね」。 まだ来ぬ秋の「かんざし」を、そっと千種の川に浮かべてみたのです。

 
  「山頂近くの岩」

中腹から石がごろごろして、山頂付近には岩が重なり合っています。

この西側には5mぐらいの巨大な岩が、いまにも転がりそうに止まっています。

これは、攻められた時に敵を撃退するために準備した岩だったそうです。
 

   
 


尼子山城は尼子将監義久の居城でしたが、永禄六年(1563)毛利元就に背後から攻められ落城したのです。

『現地案内を参照』


   
山麓の石垣
  「山麓の石垣」

登山口からすぐのところに石垣があります。

尼子氏が落城した後には、赤松一族で赤穂郡上町「上の山城」城主の富田采女(うぬめ)が入りました。 しかし富田氏も羽柴秀吉に攻められ落城するのです。

浜市には「采女の墓」があるそうです。
 
もうすぐ山頂の鳥居
  「もうすぐ山頂の鳥居」

ここからの眺めは最高です。 千種の流れが坂越の町を越えて瀬戸内海に届くのです。 そして海の向こうには、家島が浮かんで見えます。

小学校の頃、家島から近所に引越してきた子がいました。

当時、はやっていた田んぼのあぜに伏せての石投げ合戦で、その子に怪我をさせてしまいました。 ごめんね。

でも「たんこぶ」作りながらも毎日やっていたものです。
 

  
裏側の削平地帯
  「裏側の削平地帯」

屋敷跡らしく、平らな段が沢山ありました。
木の間をくぐり抜けながら、ミシリミシリと落ちた小枝の音を踏みながら進みます。 ちょっと恐いかな。
 
山頂の鳥居
 
「山頂の鳥居」

山頂には「龍王社」が祀られています。 昔、地元の方が雨乞いを祈願したことから、この山は「雨乞山」とも呼ばれています。

9月も終わりとはいえ、草がいっぱいです。 でも夏とは何かが違うのです。

秋の始め、とても良い季節なのに夏が恋しくてしかたありません。 「暑い、暑い」と言っていたのにね。 暑さが何かを忘れさせていてくれたのかな。
 

  
東の眺め
 
「東の眺め」

岡山に行く時に山陽自動車道を走ると「尼子山トンネル」があって、いつも気になっていました。 実はこの下を走っていたのですね。

赤穂線を二両の電車が走って行きました。 電車の窓から見える風景は好きです。 あぜ道を追いながら道はどこかで途切れ、また次のあぜ道を追っているのです。
 
尼子神社
  「尼子神社」

山麓の東側にあります。 ここにも登山口がありますが、近所の方が「この道より南側の登山道の方がいいよ」と教えてくれました。

地元の方は稲を刈っています。 稲を作る人が言う「秋」は、「稲刈り」の意味もあります。 「もうすぐ秋」とは「稲刈りを始めるよ」なんです。

「秋が終わる」は「今年の農作業も無事終了」で冬を迎えるのです。
 

  
千種川のすすき
 
「千種川のすすき」

「すっかり秋ですね。」 同じ風景の中で同じ話しができたらいいね。

線香花火が落ちて間もないけれど、「秋のかんざし」が夕凪になるころかな。
 

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