中国自動車道、「吉川IC」で降りて、東の県道512号線を北へ、突き当たりの316号線を東へ走り「松原橋」から356号線を400mほど東へ進むと西光寺、そのお寺付近が荒川城(あらかわ)です。
同じ吉川町の毘沙門城を本拠した藤田氏の支え城として、藤田登之助・源三郎・三兵衛が居城しました。 また脇田城(吉川町富岡)には脇田小次郎、古川城(吉川町吉川)には井口時重が守り、3人は親しく付き合っていたのです。 しかし、弘治年間(1555-57)、正月の酒宴の後、時重は脇田小次郎に襲撃され命を奪われるのです。 『参考文献を参照』