安積構居
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兵庫県宍粟市一宮町安積
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中国自動車道、「山崎IC」から国道29号線を北へ、一宮の伊和神社を過ぎて「安積橋」を渡り、学校手前の道を北側に入ると安積構居(あずみ)があります。
2005年10月も終わり。 最後は浜風が吹かなかったけど、来年もがんばれるよ。
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安積氏のお城と聞いて、思い出した。
嘉吉の乱で、将軍足利義教の首をとったのは安積行秀(一説には時治)。
この安積氏と関係があると思うけど、まだつながらないよ。
面積は小さいけど、土塁や東側の稲荷神社、その近くの水田には井戸も残っているらしいよ。 |
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安積の集落の北西には、広瀬氏の配下である安積盛氏が築いた安積城があり、のち盛好・盛正・盛建・盛矩・胤阿・盛兼・盛行・盛勝・盛昌・盛長と続きました。
この十代目・盛昌が安積構主です。
天正八年(1580)、三木城を落とした秀吉は英賀城を落とし、宍栗市山崎町の宇野氏が守る篠の丸城、そして長水城を落とすと、十一代目・盛長の安積城は落城し、盛長は討死するのです。
『参考文献を参照』
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「伊和神社」
大きな神社が国道の横にある、播磨一宮だよ。
出雲の伊和族が大和に行く途中、この伊和を拠点にして播磨へ進出しました。
一旦は姫路の手柄まで来たけど、大和朝廷の力におされて、また伊和へ引き戻したのかな。 |
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神社の北には花咲山、東に白倉山、西には高畑山、この三山の山頂には岩坐(いわくら)があるよ。
その真中の宮山にも岩坐がある、ここでは21年毎に「一つ山祭」が行われるよ。
二回目を見るのはもう中年。
31年ぶりの優勝、素直に言うよ「おめでとう」。 |
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「安志姫神社」
南の中国自動車道の東、安富町にあります。
伊和大神は安志姫神を見て、結婚してほしいと申し込みます。
でも断られると、大神は怒って川に石を積み流れを塞いでしまうんだよ。
女性にはちょっと弱い伊和大神、でもその後、播磨一国をかけた戦いが、伊和大神と天日槍で始まるよ。 |
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