応仁の頃、赤松政則を援けた加古太郎三郎の父・清房が築きました。 のち太郎三郎は則忠と名のり、貞村・満貞・貞武と続いています。 高砂城主・梶原景行の所領に入り、三木城主・別所長治の配下となるのですが、天正八年(1580)、秀吉により三木城とともに落城しました。 『参考文献を参照』
「稲荷神社」 すぐ南には別府港、西には工場がある埋立て地。 昔は西の「浜の宮公園」は浜辺だったのかな、公園は浜の砂のような気がする。 別府城も、浜の近くにあったんだね。 加西市別府町に別府構、加古郡稲美町に加古砦がある、だから、もっと北にあるような気がしていたのかな。