茶臼山城
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兵庫県神戸市北区長尾町上津
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中国自動車道、「神戸三田IC」を降りてから、南の17号線と73号線に挟まれた上津台のニュータウンに入り奥へ進みます。 小高い丘が見えてくるのが茶臼山城(ちゃうすやま)です。
2004年12月、今年も終わりに近づいた。 神戸の北区には新しい街の地図が造られる、沢山のお城の地図を作ってみたいよね。
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別名は上津城、2002年に上津台のニュータウンにできました。
地元の方の願いが込められたお城なんだよ。
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天正元年(1573)、一連坊祐之(井上源太夫)が茶臼山城を構えて、250余名の家臣を有し、近郷を支配していました。
天正七年(1579)、秀吉が三木城を攻めた時、仙石秀久にこの城を攻めさせ、一連坊は家臣の命を助けることを条件に自害し城を明け渡したのです。
姫路の春日山城主・後藤基国は三木城に籠もり、三木城の落城の時に八歳の子・後藤又兵衛基次を脱出させ、そして頼ったのがこの一蓮坊祐之といわれています。
別説には、黒田官兵衛が後藤又兵衛を引き取ったのですが、官兵衛が荒木村重の伊丹有岡城に幽閉されていた時、叔父の藤岡九兵衛が黒田家に叛き、後藤一族は追放されました。
そこで又兵衛が頼ったのが当時茶臼山城を預かっていた仙石秀久で、のちに黒田家に戻ったとも云われています。
『参考文献を参照』
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「造成地」
周りの土地は整備され新しい家が立ち並ぶ、その中を奥へ進むよ。
神戸の湊では迷わないけど、北区や西区では必ず迷うからお城の地図がほしいよね。
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「登城道」
右側が南丸、階段があるとこが本丸だよ。
ここに入った仙石秀久は、最初信長に仕えてた。 秀吉の部将として淡路の洲本城主となり、四国まで攻めたんだ。
でも九州攻めの時、島津氏の策にかかり敗走、秀吉の怒りをかって、高野山に謹慎していたらしいよ。
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「本丸」
「茶臼山保存会」の顕彰碑があります。
春には桜、夏はセミ取り、秋は落ち葉。 冬は春を待つんだ。
車の中、おにぎりで地図とみらめっこ、春には外で食べたいな。 と思う公園なんだよ。 |
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「赤松台」
地図で見ると、西には赤松台という地名がある、赤松氏と関係があるのかな。
北区には、南の有馬に落葉山城、北には蒲公英城、西には淡河城。 70城ぐらいあるから、またもやびっくり。 |
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「堀」
裏に降りてきた、お墓が並んでる。
この辺りの地元の方は茶臼山城の家臣の姓が残っていると書いてある。
堀のあぜを歩き、もう一度竹林の小道から登る。 北側の道はお城でしか味わえない感触が残ってる。 |
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神戸市北区、全てのお城を見てみたいね、2005年の宿題は地図作りかな。
地図とおにぎり、ゆっくりと探索、そんな春を待つお城なんだね。
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