福泊構
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兵庫県姫路市的形町福泊
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山陽電鉄沿いの250号線(浜国)の「的形駅」と「八家駅」の間、南海岸の丘には福泊構(ふくどまり)があります。
2004年2月、真冬。 誰もいないと思って来たけれど、一人で歩いているのは一人ではなさそうな所だよ。
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姫路の東端にある福泊は、神戸・播磨の五泊の一つといわれています。(室津、福泊、魚住泊、大輪田泊、河尻泊)
この的形には福泊構、赤坂山城、的形城があって、3つは三木氏でつながりがあるよ。 |
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四国は伊予国、河野通近が細川頼之に追われた後、通近は讃岐国三木郡の地頭になり、三木氏を名のりました。
康暦二年(1380)、播磨の恋の浜城(姫路市白浜)へ移り、別所氏から通重が養子として入ると三木氏は赤松氏の部将になりました。
そして三木通重が長尾通朝と名乗り、この福泊に入ったとも言われています。
三木氏は通重の子・通武が英賀城に入るのですが、秀吉の播磨攻めで別所長治の三木城が落城した後、英賀城も落ち、三木氏は九州へと移るのです。
三木城は別所氏、英賀城や福泊は三木氏だよ、ややこしいね。
『参考文献を参照』
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「木庭神社(きにわ)」
元和元年(1615)、三木久右衛門宋栄によって建てられました。 この宋栄は三木城主・別所長治と側室「於松の局」の子で三木城から落ちのびて福泊に隠れ住んだらしいよ。
寛保元年(1741)、風雨で大破したために、木場村の医師・三木寸斗によって再建されたそうです。
すごい岩だよ、どうしても神社が写らないんだよね。 |
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「木場神社の石灯籠」
案内によると、十神も祀っているので全国でもめずらしいとある。
播磨風土記には神功皇后が九州へ行く時に雨風を止むのを待つために福泊に避難しました。
すると青い空となり「晴れ間なり」と叫んだそうです。 これが「播磨」の名になったとも伝わっています。
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「小赤壁」
東西800mに及ぶ岸壁です。
三世紀の中国、呉と蜀が組んで魏と赤壁で戦いました。
この時、諸葛孔明の計略で連合軍が勝利を収め、「三顧の礼」で蜀に迎えられる話です。
(迎えられて赤壁で戦ったのかも、あまりに昔のことで忘れた)
中国か、そのスケールをこの目で見たいよね。 と一人思いめぐらして歩いていると満潮になって帰れないよ。 |
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