古大内城
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兵庫県加古川市野口町古大内
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加古川バイパス、「加古川東ランプ」で降ります。 南の国道2号線を西へ「野口交差点」手前の信号を南に入ると「駅ケ池」があります。
奈良時代、この駅ケ池と具平親王神社(大歳神社)辺りは「賀古駅家」と伝わり、その駅には赤松氏の祖・源季房が構えた古大内城(ふろうち)があります。
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まさかこんな場所に建ってるなんて、と思う所です。
国道から歩いて南側の「駅ケ池」に気を取られていると、通り過ぎてしまうよ。 |
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奈良時代、九州の大宰府は中国・朝鮮との海の玄関口で、「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれていました。 この大宰府と奈良を結んだ陸路が「山陽道」です。
これが「五畿七道」、つまり中央の5つの国(大和・山城・河内・摂津・泉)と地方の諸国を結んだ七つの街道(山陽道・山陰道・南海道・西海道・北陸道・東山通・東海道)の一つです。
そして道沿いには中国の「駅伝制」にならって、宿泊や休憩や交通機関の機能を持つ「駅家(うまや)」が置かれ、全国七道には約400の駅がありました。
ここ播磨国には七つの駅があり、その位置はおよそ次のようです。(諸説あり)
「明石駅家」 神戸市西区の吉田南遺跡
「賀古駅家」 加古川市野口町の古大内遺跡
「佐突駅家」 姫路市別所町の北宿遺跡
「草上駅家」 姫路市今宿の丁田遺跡
「大市駅家」 姫路市の大市中遺跡
「布施駅家」 竜野市の小犬丸遺跡
「高田駅家」 上郡町の神明寺遺跡
「野摩駅家」 上郡町の落地・八反坪遺跡
この古大内城の場所が「賀古駅家」だったのです。
寛仁四年(1020)、六十二代・村上天皇の第七皇子である具平親王の子・師房は源氏姓を賜ります。
天永二年(1111)、源師房の三代後・季房がこの古大内の地に移り、城を構えたのが古大内城といわれています。
そして源季房が上郡の赤松氏の祖なのです。
『参考文献を参照』
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「具平親王神社(大歳神社)」
奈良時代後期から平安時代の古瓦や建物の礎石が沢山出土しています。
小学の頃、「駅の漢字は、馬が人や物を運んでいたから」と教えていただいた。
大人になって神戸で飲み過ぎ、姫路駅を通り過ぎ、朝まで寝ていたのは上郡の「野摩駅家」だったのかな。
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