御殿屋敷
兵庫県佐用郡佐用町平福

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  中国自動車道「佐用IC」から373号線を北へ約3km、右手に「平福駅」、左手には「道の駅宿場町ひらふく」、東の山頂には利神城、そして山麓には御殿屋敷(ごてんやしき)がありました。

 
  国道沿いには「道の駅」、平福藩陣屋の御門が見えてるよ。

平福の街、川端を歩く、山頂には利神城が見えている。

佐用川を渡ると利神駅、その東側には屋敷跡も見えてるよ。
 

 


輝政が播磨国姫路城に入ると、甥の由之に利神城を改修させませた。 ここは由之の屋敷跡と云われています。

しかし、由之の利神城は、あまりにも壮大であったため、輝政の命で天守などを破却、由之も米子に転封、その後は廃城となるのです。

『参考文献を参照』

 

  
  高さ4m、長さ120mの石垣、駅から見ると田んぼの色と同じ、一瞬分からないよ。

姫路城に伝わる「播州皿屋敷」の話、ここにも「お菊さん」のお墓があるらしいよ。
 
  「宮本武蔵 決闘の場」

天正12年(1584)、武蔵は、母・於政(おまさ)と死別、その後、父・無二斎が、利神城主・別所林治の娘よし子を後妻に迎えたので、武蔵はこの義母に育てられました。

武蔵が十三歳の時、「何人なりとも望みしだい手合せいたすべし」という、新当流の達人・有馬喜兵衛の高札を見ました。

ここ金庫橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれています。(五輪書の序文に述べられているらしいよ)
 

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