後藤陣
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兵庫県赤穂市有年楢原
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新幹線相生駅を過ぎ千種川を渡り、国道2号線をすぐ北側へ入り、600mほど川沿いを走ると、西側には標高180mの山頂に後藤陣(ごとう)があります。
2006年5月、ゴールデンウィーク。 青い空、新しい緑、また宿題ができたよね。
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後藤氏と言えば、黒田24騎の一人「後藤又衛門基次」。
南山田城で生まれ、黒田官兵衛に付き、大阪の陣では西軍として活躍するんだよ。
真ん中の山が後藤陣、きっと後藤氏と関係あるよ。 |
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承久元年(1219)、鎌倉幕府三代・源実朝を暗殺したいわゆる「承久の乱」で、後鳥羽上皇に味方したのは後藤基清、この時は一旦後藤氏は滅亡します。
基清には五人の子があり、その一人基綱から四代目・基明は、赤松円心とともに足利尊氏に味方し、神崎郡福崎町の春日山城を築いて、「神南合戦」で山名師氏を討ち功績を挙げました。
一方、基清の子・基重の孫である基任は、「宇治川合戦」で功績をあげ、北条泰時・時房から播磨守護を任命され、多可郡安田荘を本拠にします。
天正六年(1578)、基任から六代後・基信の時に、中国征伐に向かった秀吉は別所長治の三木城を囲みました。
天正八年(1578)、三木城落城の寸前、別所長治とともに籠った後藤将監が黒田官兵衛に預けた子、のちの後藤又衛門基次なのです。
『参考文献を参照』
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「登山道」
千種川の西から山道へ入る「三軒家古墳群」の標柱がある。
手前には登れそうな道、その途中だよ。
でも登るのでなく、山の東側を周回している道なのかな。
途中の小屋がある所、山道に入って登ります。 |
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すぐにお墓、その裏手から上ると、道のような、そうでないような。
すると石積みがある、いつの時代かな。
古墳ではなさそう、資料を見ると河原石を積んだお墓が10基とある。
山麓の居館跡の石積みかな、そうだよね。
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途中、石が円形に置いてある、井戸だったのかな。
さらにまっすぐ登る、途中には沢山石が転る、ここは山頂から50mぐらい下の斜面。
確かに人工的な石だけど、すごく急斜面にある。
上から落ちてきたのかな、でもきれいに並んでいるよ、何かな。 |
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着きました、山頂には東西に長い円形。
よく見ると周辺は石で一段高く、北側は下がって帯郭が囲む。
乾いた木々がポキポキ、入ってみるね。
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「主郭」
ここが主郭かな、古墳のような石が並んでいる。
自然石をどうやって利用したのか、周囲に小さな石を詰めて、台形にして上に建物を造る。
その石が下へ転がっていったのかな。
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「南の風景」
千種川を北へ走ると赤松氏の駒山城、その奥には苔縄城や白旗城。
見えてる南の山は八幡山城、その向うには鍋子城、そこも赤松氏のお城、上れるかな。
緑の山、美味しいおにぎり、また一つゴールデンウィークの宿題が残ってしまったよ。
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