八幡山城
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兵庫県丹波市柏原町
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篠山市から176号線を北上し、「鐘ケ坂トンネル」で金山城を左手に見ながら、トンネルを抜けると柏原町に入ります。
「JR柏原駅」の北側には柏原藩陣屋、北側の山には八幡山城(はちまんやま)があります。
2006年7月、これからも楽しい時を刻んでくれるかな。
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柏原藩陣屋、前に来たのは2004年2月かな。
2年半前だね。
南には光秀が築いた金山城、対する赤井氏は北の黒井城、西の高見城だね。 |
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天正三年(1575)、 信長の命を受けて光秀の丹波攻めが始まりました。
天正四年(1576)、赤井氏(荻野氏)の黒井城を攻めるのですが、八上城主・波多野秀治が背後から襲い、光秀を敗走させます。(赤井の呼び込み戦法)
信長から丹波攻略を急き立てられた光秀は、母を八上城へ人質に差し出し、波多野秀治と講和を申し入れました。
領土安堵を約束に、秀治と弟・秀尚を神尾山城に招き、その場で捕らえて安土城に護送するのですが、信長により処刑されるのです。 これを知った八上城では光秀の母を松に磔にしました。
天正六年(1578)、母の死を知った光秀は、八上城を包囲し落城、氷上郡に入り金山城を築城して、柏原の八幡山にも砦を築きます。
荻野一族の諸城を押さえながら黒井城を孤立無援にし、翌年ついに黒井城を落します。
天正十年(1582)、「本能寺の変」、のち秀吉の家臣・堀尾茂助が社殿を再建したそうです。
『参考文献を参照』
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「堀切」
神社の北側へ回る、少し下がると堀切、この北側が主郭だね。
まだ北側を上れば、郭が続いているらしいよ。
上れば黒井城や高見城が見えるのかな。 |
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「時のカウント」
織田神社、織田家廟所、2年たってもその瞬間の風景まで覚えている。
観光案内所の横、「木の根橋」が樹齢千年以上もカウントしている、人が持てる時間、もっともっとカウントできればいいのに。 |
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