聖山城
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兵庫県宍栗市山崎町須賀沢
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中国自動車道「山崎IC」で降ります。 すぐ北の「中広瀬北交差点」を東へ曲がり、揖保川を渡ります。
北へ200mほどいくと農協、そこを入った所には成南篳神社、その背後の標高166m(比高74m)堅木山の山頂には聖山城(ひじりやま)があります。
2004年5月の始め、ゴールデンウィークの雨。 揖保川の流れは、菖蒲の花咲く季節を待っている。 400年前の雨は全てを流し、千年の藤だけが全てを見ていた城跡なのです。
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今日は雨、下から200mほどです。 でもツルツルとすべるから気をつけてね。
山頂の城跡には、草が沢山あったけど、東側には土盛された所があったよ。
でも、草露で全身ビショビショだよ。 |
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この聖山城から少し揖保川を上ると、赤松家の守護代として播磨西八郡を支配した宇野氏の長水城があります。
そして周囲には石原城・鳥子城・塩田城・三森城・香山城・清野構・安積城を配置し、本城の長水城の守りとして篠の丸城、五十波城、そして聖山城を置きました。
この聖山城には下村則真が入り、のち貞康、則長、祐長、則久と続いています。
天正四年(1576)、秀吉の中国平定の時、置塩城主・赤松則房、三木城主・別所長治、御着城主・小寺政職らは信長に従うことにしました。
しかし、上月城主・赤松政範、鶏籠山城主・赤松広英、英賀城主・三木通秋、長水城主・宇野政頼は毛利輝元側に付きました。 のち赤松広英は秀吉に服従し、但馬の竹田城を与えられています。
天正五年(1577)、秀吉は上月城を落とし、尼子勝久と山中鹿之介に守らせていました。 ところが別所長治が毛利氏と通じ、突然信長に叛旗を翻したのです。
その頃、秀吉は長水城を攻めるために、まず聖山城に軍を進め本陣を置きました。 そして篠の丸城を攻め落とし、長水山城を完全に包囲したのです。
天正八年(1580)、「三木の干殺し」によって三木城は落ち、別所長治は自害、英賀城も落城、そして篠の丸城つづいて長水城も雨の流れとなるのです。
『参考文献を参照』
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「愛宕神社」
傘をさして麓の成南篳神社から登ると、5分ぐらいでこの愛宕神社に着きます。 ここも砦があったらしいよ。
雨の風景、でも山は緑がきれいだよ。
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「長水城の山」
山崎町には揖保川が流れています。 この聖山城から川向かいには篠の丸城、その北には長水城が見えるよ。
長水城は夏に登ったけど、さすがに高かった。 雲がかかった山と思ったけど、もう少し西(左)だったかな。 |
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「千年藤」
揖保川の西側には「道の駅山崎」、その西の「大歳神社」だよ。
天徳4年(960)、与右衛門という人が植えたと伝わる藤の木がある。 確かに千年の藤、すごいから来年見てね。 |
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「菖蒲の花」
ここは「播州山崎花菖蒲園」、5月の連休ではまだシャクナゲの季節だね。
1000品種、100万本の菖蒲は6月頃らしい。
400年前の雨は、全てを揖保の川に流したけど、5月の雨はきれいな花を咲かせているんだよ。 |
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