生田陣所
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兵庫県神戸市中央区下山手通
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JR神戸線、「三宮駅」を北へ降りて300m、繁華街を抜けると生田神社があります。
その神社の奥には一ノ谷合戦で平氏が陣を構えた「生田の森」があります。
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「生田神社」
なんと「七五三まいり」の日だった、初詣だと思ったけど。
三歳は男女で髪を伸ばす「かみおき」、五歳は男の子で袴をはく「はかまぎ」、七歳は女の子で着物の縫帯をしめる「おびとぎ」だそうです。
知らないうちに済んでしまってたよ。 |
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寿永二年(1183)、木曽義仲(源義仲)が後白河法皇から平家追討の命を受けて京へ攻め入ると、平氏は瀬戸内の屋島へ逃れました。
屋島で勢力を回復した平氏は、神戸の一ノ谷で陣を構えました。 ここで地図を広げると、「一ノ谷」は須磨区の2号線が渋滞する海岸沿いにあります。
須磨から東には長田区・兵庫区、その東の三宮に生田神社があり、かなり離れているので不思議と思うけど、とにかく東は生田神社から西の一ノ谷までを平氏は陣を構えていました。
元暦元年(1184)、京を出た義経は丹波から372号線を西へ、まずは社町の三草山で平家軍を夜襲で破り、土肥実平は西から、義経はひよどり越えで一ノ谷に向かいました。
ここで地図、「ひよどり」は兵庫区と長田区の境を北側に進むとある、つまり平氏が構えた陣の中央を山側から攻めたことになるね。
三草から小野市・三木市へと弁慶が石に座ったり持ち上げたりしながら、神戸電鉄粟生線を鈴欄台から有馬線に乗り換えて「ひよどり駅」越えのコースで来た、と思われる。
義経は一の谷の背後の断崖を駆け下り、陣へなだれ込むと、平氏は総崩れとなり沖へと敗走するのです。 これを「義経の坂落とし」といいます。 この合戦で平重衡は捕まり、忠度・経正・師盛・知章・清貞・敦盛・業盛は討死するのです。
『参考文献を参照』
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「生田の森」
神社の奥にある、中に入るとここだけが時代が違うよ。
神戸はポートアイランド、異人館やルミナリエのイメージがあるけど、歩けば史跡というぐらい沢山あるよ。
ロマンチックな夜景、二人で源平を語ってね。 |
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どこの街かと思えば昼の神戸。
20代の頃、金曜の夜には三宮。 鍋食べてからディスコ、それからスナックでコイン入れて歌う。
気がついたら最終電車は西明石止まり。 西明石から姫路まで歩いて帰ったことあるよ、途中牛乳配達の軽トラに乗せてもらったけど。
元気やったよね、あの頃は。
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