ここは熊野神社の参道、この地には東西100m、南北115m、周囲は10mの水堀で囲った居館がありました。 田んぼになって、その堀と思わせるか思わせないかという風景が広がります。 後で資料を見た、中川氏のお城だね。 大阪の茨木城主、三木城主、そして「荒城の月」で有名な大分県は豊後岡城主になった中川氏だよ。
室町時代の終わり頃、城主の中川重清は池田城主・池田勝正に属していました。 永禄七年(1564)、重清は山崎恒政に攻められて降伏しています。 元亀元年(1570)、有岡城主・荒木村重の家臣となり姻戚関係を結ぶと、高槻城主の和田惟政を討ち取り、茨木城へ入ります。 しかし重清の嫡子・清秀は信長方に味方し、茨木城を開城、その後は豊後岡城の城主になりました。 『参考文献を参照』