構主は小松原時忠の孫・一色右馬頭時則とされています、ここも三木城主・別所氏に従ったというぐらいしか分からないです。 『参考文献を参照』
「安養寺」 いつも通っている明姫幹線、道沿いにあったんだね。 訪れた後はこんな場所だったんだ、と思うほど目に入るよ。 「播磨鑑」は印南郡平津村の平野庸修が1762年頃に書いた地誌だそうです、でも播州古城鎮集録は何かな。 もっと難しい書物も読まなければ、とも思うけど。 それも難しそうだし。