石守構居
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兵庫県加古川市神野町石守
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JR東加古川駅西側の383号線を北へ、「福沢交差点」を過ぎて神野町石守に入ると、西に日岡公園が見える辺りに石守構居(いしもり)があります。
2004年8月、真夏の太陽と一緒に加古川自転車探索、ぐるぐる回り過ぎて、もう場所が分からなくなりました。
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石守城とも呼ばれ、ここで城跡の石碑を見るなんて嬉しすぎる。
その上、赤松氏や三木の別所氏、秀吉の名前が出てくるんだよ。
でも場所はなかなか説明できない。 日岡山の北側を流れる川が東南へ延びた所だったような。 |
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領主は、中村新五郎修理太夫重房、同孫之進景利といい、元は別所長治の幕下であったが、長治が天正八年織田信長に亡ぼされてからは秀吉に付きしたがい、因州の戦に武功を樹てたが討死した。
また一説には三木の乱に討死したともいわれています。
『現地案内を参照』
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「政勝大神の社」
この赤い鳥居には「正一位 政勝大神」とある。
後ろはけっこう小山が連なっているよ。 場所はここから東に行くと「たかたはし」が小川に架かってたのを記憶してる。
自転車で回りすぎて、真夏の太陽が場所を分からなくさせてしまったよ。 |
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