山陽自動車道、「三木小野IC」を降りて、国道175線を南へ走ります。 「高木交差点」から南の20号線を西へ、三木鉄道「石野駅」近くの道沿いには、石野氏館(いしのし)があります。
赤松円心から六代前には源季則がいます。 永暦元年(1160)、季則の子・頼清が加西市に別所城を築き、別所氏と名乗りました。 頼清から清次・清光・頼光・範光・敦光・敦則と続いています。 一方、赤松円心の子・則祐の三男持則は、別所敦則の養子となるのです。 のち、持祐・祐定・義充・義氏・氏貞・氏満・氏置と続いて、三木城主・別所長治の時には氏満が従っています。 天正八年(1580)、三木城は落城、氏満の子・氏置は徳川家康の旗本として続いているのが石野氏なのです。 『参考文献を参照』