加茂構居
兵庫県姫路市飾磨区加茂

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姫路駅の西側を南へ、手柄を通り250号線の「官堀橋交差点」を西へ走ります。 思案橋を過ぎて「津田神社北交差点」を北へ、400mほどで西に入ると津田小学校があります。

小学校の北側には加茂構居(かも)の案内があります。

 
 

英賀城の出城として、東1kmの所にある構居です。

昭和47年の発掘調査で、津田小学校の東側から見つかりました。

ここも秀吉によって落とされたんだよね。

三木城の東播磨、英賀城の西播磨、北の但馬に鳥取、岡山の高松城、四国に九州。 皆んな落とされたんだよね。

 

 


加茂遺跡は、昭和四十七〜八にかけて、都市計画街路岡田線建設工事に伴う発掘調査で、加茂字太ノ前(津田小学校東側)から見つかりました。

遺跡は、堀と土塁に囲まれた中世武士の館跡で、南北六十六メートル、東西百メートル前後の規模が推定されます。

内部から堀立柱建物跡九棟、井戸三基、池などが検出され、備前焼などの陶磁器や石臼、砥石、鎌、うるし塗りの木椀、はし、げた、ぞうり、古銭、ヨロイの一部などさまざまな遺物が出土しました。

このような加茂遺跡は、西方1キロメートルにあった英賀城の出城の一つ「加茂構居」に該当し、英賀城とともに天正八年(1580)頃、秀吉の軍勢に攻め滅ぼされたと考えられています。

『現地案内を参照』

 

  
  広さは南北66m、東西100m、堀や井戸が発見され、備前焼きなどの陶磁器も出てきました。

この備前焼きの年代から、室町時代の建物と推測されているよ。

でも瓦が少なかったから、屋根は板か草葺だったらしい。

子供時代の家はワラ葺で黒のトタンだった、あまり変わらないよね。
 
津田神社
  「津田神社」

延喜元年(901)、大宰権師に左遷された菅原道真が休息したことから、菅公を主神として祀ったと云われています。

のち秀吉による英賀城攻めで焼失しています。

東方の菅公伝説地には「菅公坐像」がある、いつも車をどこに停めようかなと思案している間に過ぎてしまうよ、なぜかな。
 

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