唐崎城
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兵庫県神戸市北区道場町塩田
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中国自動車道「西宮北IC」を降りて、東の国道176号線を北へ走ります。 西宮市から神戸市北区に入り、道場橋を渡って327号線を東へ、1.6kmほどで武庫川と合流した西側の小高い山が唐崎城(からさき)です。
2005年1月、ここは南北朝時代の激戦の地、冬の川、2つの流れはうまく1つになれるかな。
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長尾川(有馬川)と武庫川が合流する所にあります。
神戸の北区、ここでも南北朝時代の戦いは繰り返されていたんだね。
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唐崎城の川を隔てて東の鏑射山城は、赤松氏の家臣・貴志義氏が築いたのですが、南朝方に奪われてしまいます。
南朝方は、北には香下寺城、南は丹生山城、そして中間に鏑射山城といった城を構え、この唐崎城にも南朝方が陣を張りました。
これに対して北朝方は、赤松範資が兵庫に軍を集結し、則祐も加わって反撃を開始しました。 範資は香下寺城へ、則祐は丹生山城へ向かいます。
この時、貴志義氏は西宮の生瀬から道場町の別宮山(塩田八幡宮の近く)まで押し寄せると、香下寺城から湯山円忍のの軍勢と遭遇し、この川の合流点で激しく戦いました。
ついに唐崎城は落城、湯山円忍は討死し、ここに有馬の南朝軍を制圧するのです。
『参考文献を参照』
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「堀切」
向こうの川辺から階段を登ると、いかにも堀切という所にでます。
この両側には少し削平地が残っているかな、という感じ。
たぶん川向こうの鏑射山城に対抗する為の最前基地として築いたと思うけど。
みんな集まってきて、ここから鏑射山城を見ていたんだね。
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「2つの流れ」
この場所で激戦が行われた、中央には2つの川の土手が1つになっている。
南北朝時代、思えば不思議な時代だよね。
ここまで書いているのに、何の為に戦っているのか、あまり分かっていないよ。
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