春日山城
兵庫県神崎郡福崎町八千種

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  国道312号線「溝口交差点」を東へ410号線を2kmほど走ると八千種(やちくさ)の飯盛山(通称:春日山)には春日山城(かすが)があります。

このあたりは「近畿自然歩道のコース」でもあり、案内標識が随所に置かれているので、すぐにわかると思います。
黒田官兵衛(如水)率いる黒田24騎の一人「後藤又衛門」は、ここ春日山城の後藤基次のことで、時代小説にも登場しています。

2003年3月、春日山城は南北朝時代に栄え、そして戦国時代に滅び、長い年月を経た今、城跡のみが残っているのです。

 
  標高198mの春日山の山頂で、「食料貯蔵庫」「馬の蹄石」の跡があります。

ここからは、沢山のため池や田んぼが広がる播磨平野の景色を楽しむことができます。
 

 
建武年間に築城し、赤松幕下の後藤三郎左衛門尉基明が初代の城主として守護し、現在の福崎町全域、姫路市山田町、姫路市船津町並に加西市の一部を統治をしました。

応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣、山名の軍勢を破って軍功を立て、基明の子孫が代々城主をしていたが、天正の頃の城主は後藤伊勢守基信でした。

ところが秀吉が信長の命により中国征伐に向かうため、京都から西方に向かい、次々に城を陥落し、破竹の勢いで進んで来て、三木城も破れ、次に春日山城にも攻め寄せて来たのです。

城主・後藤伊勢守基信を中心に、将兵一同春日山城に籠城して戦ったが、春日山の周囲を取り囲まれ、奮戦功なく、将兵は次々に斃れ、天正六年五月十一日遂に城落ち、城主基信は自刃して果てました。

二百数十年間、存在した春日山城も落城してから既に四百有余年を経た今日、遺跡らしきもの殆どなく、この城跡に、その昔を偲び、ありし日の春日山城を想えば、万感胸に迫るものがあり、更に将兵の悲痛なる最期に思いを致す時、実に感無量なり。

『現地案内を参照』

 
 

本丸
  本丸があった台地の周囲です。 下の図を見るとよくイメージがわかると思います。
 
  山頂の城案内図に描かれていた「春日山城の縄張り図」です。
 

  
  ここから春日山に登りました、標識がいっぱいありますよ。

近くの見所としては
「嶺雲寺(れいうんじ)」
「余田大歳神社(よでんおおとし)」
「若宮神社(わかみや)」
「鍛冶屋熊野神社(かじやくまの」
「八千種自然活用村」
などです。

また福崎は「柳田國男生家」があり、ここから7.1kmのところです。
 

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