木崎城
兵庫県豊岡市山王町

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播但連絡道を北上し、最終の「和田山IC」から国道312号線を北へ走り豊岡市街に入ります。

JR豊岡駅のすぐ南東、山王山の小高い山、その山頂には木崎城(きのさき)がありました。

2006年9月、すっかり秋だね。 コウノトリの但馬、久々の但馬だね。

 
  日吉神社がある山王山が木崎城と云われている。

すぐ東には神武山公園、そこは豊岡城、別名が亀城や木崎城と呼ばれているよ。

豊岡藩は京極氏が治めていたんだ、近江と関係があるんだよ。

神社の東側には竪堀や郭があるらしいよ。
 

 
伝承では、「清和天皇の時、安達信輝という人物が居た」、また「康正の頃(1455-57)、山名宗全が居た」と伝わる。

長享二年(1488)、宗全の子で但馬守護・山名政豊が播磨国出兵に失敗、但馬に引き揚げた。 この時、国人は政豊に叛き、ことごとく山名四天王・垣屋氏に付くのです。

ひとり田公肥後守だけが政豊に味方し、子・新左衛門が築いた木崎城に入ったと云われています。

『参考文献を参照』

 

  
大石吉之進の墓所
  「大石吉之進の墓所」

少し南、三坂町の大門山だよ、赤穂藩城代家老・大石内蔵助の次男吉之進のお墓です。

大石良夫の妻・りくは京極氏家老・石束源五兵衛の長女です。

元禄十四年浅野家断絶、りくは京都山科で夫と長男主税(ちから)と別れ、生家石束家に次男吉之進、長女クウ、次女ルイを連れて帰ります。
但馬は奥が深い、秋も深まりそうだね。
 

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