寺内構居と同じく、場所が難しい。 四箇集落の中央あたりとある。 森があって、小さな祠があって、25mぐらいの台地になって、周りにせまい溝がある。 その溝が藪に続き、藪の隅に5つの五輪塔がある。 とある、難しすぎる。
永禄の頃(1558-69)、笠松城主・円山氏の一族である円尾左衛門尉祐武が居を構えました。 龍野赤松氏の幕下と云われています。 『参考文献を参照』