苔縄城(前編)
|
兵庫県赤穂郡上郡町苔縄
|
|
Top お城の一覧 探索一覧 写真一覧 |
|
|
新幹線相生駅を過ぎて「有年原交差点」を北へ曲がり、国道373号線を千種川沿いに走ります。 駒山城がある上郡の町から更に2km、「苔縄橋」を渡ると正面に見える標高369mの山頂に苔縄城(こけなわ)があります。
元弘三年(1333)正月、播磨の赤松円心は一族を集め苔縄城で挙兵する。
2003年10月、「城跡探索」はここから始まるのです。
|
|
|
|
|
「法雲寺のビャクシン」
赤松則村(円心)が建てた法雲寺境内にあります。
円心が自ら植えたものと伝えられ、根まわりが14.3m、高さ33.5mで5本に分かれています。
この法雲寺は、昭和58年に地元・赤松氏の協力によって再建され、現在では「禅」の道場として一般に開放されています。
「円心堂」には円心の像が安置されています。 |
|
|
|
|
播磨が生んだ英雄・赤松円心。 その円心が苔縄城で挙兵する「前編」の話です。
仁治二年(1242)、後嵯峨天皇が治天(政務を行う上皇の地位)となり、次の治天を決めずに崩御された時、後深草天皇と亀山天皇の間で跡目争いが起こりました。
歴史の時間に、後深草天皇は「持明院統」、亀山天皇は「大覚寺統」と習ったよね。
その後の継承方法は、一方が治天の時はもう一方は皇太子を立てるように決めました。 つまり親子二代が続いたら交替するようにしたのです。(両統迭立:てつりつ)
時の鎌倉幕府の執権は、十三歳で位に就いた北条高時で、田楽や闘犬にふけ、執権職までも側近の金沢貞顕に譲っていました。 後嵯峨天皇から数えて九代目・後醍醐天皇は、そんな鎌倉幕府に対して倒幕への意志を燃すのです。
正中元年(1322)、後醍醐天皇は日野資朝・俊基らの貴族と、玄基や足助重成らの僧・武士を加えて、京都の六波羅探題(幕府の出張所みたいなとこ)を襲撃する計画を立てたのですが、情報が漏れて失敗しました。(正中の変)
この頃、赤穂・佐用地方の豪族である赤松円心は、三男・則祐を天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう)に仕えさせていました。
そして皇太子・邦良親王が死去されたので後醍醐天皇は護良親王を皇太子につけるようと幕府に働きかけたのですが、幕府の意向で持明院党の量仁親王が皇太子に決まり、さらに幕府は後醍醐天皇の譲位も求めてきました。
後醍醐天皇はついに二度目の倒幕計画を立てたのですが、これも天皇側近の吉田定房が六波羅探題に密告し失敗、日野俊基は処刑、後醍醐天皇は京を脱出し、笠置山(京都市相楽)に籠もるも幕府は大軍で押し寄せ、ついに捕まり隠岐に流されるのです。
この時、護良親王は逃れ、河内の楠木正成を頼り、十津川郷と高野山を拠点に勤皇の士を募り、吉野に兵をあげて2万の幕府軍と戦うのです。
この時、護良親王に仕えていた赤松則祐は、護良親王からの挙兵令旨を持ち帰り、それを見た父・円心が一族を集めて挙兵したのが苔縄城なのです。
『参考文献を参照』
|
|
|
|
|
|
|
「大日如来」
赤松小学校の入口にあります。 登山口はここの裏を左に曲がり、少し登ると下の写真の柵があります。
車から降りて、ふと左の靴を見ると「ひも」がほどけています。 力を入れてしっかりと結びました。 |
|
|
|
|
「動物避けの柵」
かなりの距離をトタンと金網でしっかりと柵をしています。
いったいどこから入るのだろう。 行ったり来たり。 この柵なら、猪や鹿も降りては来れないね。
|
|
|
|
|
|
|
「入り口」
ありました。 丁度、学校の裏あたりの谷間です。
扉の柵も針金でしっかりと3箇所を止めています。
|
|
|
|
|
「道はどこ」
柵の内側です。 針金で固定、もう逃げられないよ。
谷間を左に上がると広い場所があります。
何かがあったような気がする所です。
|
|
|
|
|
|
|
たぶん、当時の石積みではないと思うけど、一応載せてみました。
ところで、道はどこなのかな。 |
|
|
|
|
「直進」
道が分からなかったので、もう直進で登りました。
時々、かすかに道らしきところがあるのですが、すぐにこんな感じ。
|
|
|
|
|
|
|
「尾根」
汗、涙、かすり傷、クモの巣、土、もう無茶苦茶。
こまで来ればなんとかなると思っていたよ。 帰る時の降りる目印として土に印をして頂上を目指します。
あれ、また靴の「ひも」がほどけているよ。
|
|
|
|
|
「挫折」
尾根を歩いて数分。 もう草は背丈ぐらい。 道もわからなくなってきました。 遠くに山頂だけが見えるけど。
挫折したよ。 汗が目に入って、かすんでいるよ。
|
|
|
|
|
|
|
「後編へつづく」
千種川の苔縄橋で振りかえり、また来ることを誓ったよ。
苔縄城は右側の低い方の山だよ。 尾根で見えていたのは高い方の「愛宕山」だったような気がする。 写真の左端の所まで登ったのかな。
ふと靴を見ると、五寸釘みたいな木が裏ゴムから、小指の横を通って上に突き抜けている。 「ひも」は「足元に気をつけて」を言いたかったのかな。
100城も履いてる運動靴、帰ったらきれいに洗ってあげるよ。 |
|
|
|
|