越水城
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兵庫県西宮市桜谷町・越水町
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JR山陽本線「西ノ宮駅」で降ります。 北西へ約20分歩き、阪急神戸線を越え、国道171号線が右へ大きくカーブする所を北西へ入ると大社小学校があります。
この辺り一帯が越水城(こしみず)になっていました。 2004年11月、「つづくシリーズ」の始まり、その始まりは摂津からだよ。
「つづくシリーズ」の1回目
越水城 ⇒ 瓦林城 ⇒ 富松城
⇒ 水堂陣屋 ⇒ 七松城
まで歩いたよ。
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小清水城ともいわれ、近くには名前の由来になった三ヶ所の泉があるらしい。
観応二年(1351)、足利尊氏と弟・直義が戦った場所で、 かつては天守もあり、辺りは城下町の風情がありました。 |
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目の前の小高い丘は観応2年(1351)足利尊氏と弟・直義が戦った小清水の陣所路で、瓦林正頼は永正十三年(1516)ここに越水城を築城しました。
いまの町名では城山・桜谷・満池谷・清水の4町にまたがり、その広さは南北約200m・東西約100mで小清水城あるいは腰水城といわれています。
ここは西国街道の要衝で、城にかかせぬ水にも恵まれた築城の適地でした。
この城は、一説には天守閣もあり外域を備え、人びとを住まわせた西宮には、城下町のようなふんいき気があり、「おおよそ目を驚かす風情」で、摂津では他に例がなかったようです。
応仁の乱に始まる戦国時代初期、城主正頼は細川氏の内紛に高国方につき、四国より京にのぼる澄元を迎えうって敗れ、その上澄元に内通したとして切腹、死後澄元の家臣三好氏が入城します。
天文二年(1533)には瓦林と一向一揆が三好を攻めて城をうばい返し、瓦林の一族が城を守りますが、さらに攻防が繰り返されて、ついに畿内の覇者三好長慶の居城となり、彼は家臣松永久秀を京に止めて越水城で指揮をとりました。
永禄九年(1566)、時の城主四国阿波の篠原長房は、瓦林三河守に攻められ、一旦開城しますが4日後に復活、9月には足利義親(のちの足利幕府14代将軍義栄)が入城しましたが、11年に信長の入洛により、越水城の戦略的価値が消えたのでした。
『現地案内を参照』
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「日本も若い人が増えたなぁ」と思って電車から降りると西ノ宮駅、北口から171号線を目指して歩けばいいよ。 昔は171号線が京都への道だったらしい。
「越水の碑は?」尋ねて3人目、やっと教えていただいた。 何故か「最近引っ越してきて・・」と言われる。
明治29年に大社尋常小学校が建った校舎の所に碑があるよ。 全体が高くなってるけど、本丸とかはどこだろう。 |
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「西宮球場」
南に戻り、阪急神戸線沿いを東へ歩く。 2kmぐらいで球場、 「阪急」そう今のオリックスかな、でも最近違うような気がする。
歩いて分かった、リュックには地図・磁石・タオル・カッパ・着替えと飲み水だけでいいよ。 ロープとか山用道具一式は後悔する。
ということで、つづくシリーズは西宮から始まった。 終点をどこにするか、一応京都にしてるけど、歩けるかな。
瓦林城へとつづく。 |
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