神木構居
兵庫県加古川市平荘町神木

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  加古川バイパス、「加古川西ランプ」から43号線を北へ、「投松交差点」から65号線を東へ走ります。 「西山交差点」の次の信号を北へ500mぐらいの道沿いに神木構居(こうぎ)があります。

2004年7月、もうすぐ暑い夏が来る、ここの構主は三木城への糧道を守っていたんだよ。

 
  ここは道沿いの東にある高台、裏から見るとまさに当時の跡がわかるよ。

でも東の熊野神社やその南の堀もいい感じ、歩くと小さな祠が沢山あるよ。
 

 
嘉吉元年(1441)、赤松満祐の家臣・竹中弥五郎が構主でした。

天正年間には志方城主・櫛橋左京亮伊則の幕下として、高橋平左衛門政純が構主となり神吉構居と兼ねていました。

天正六年(1578)、秀吉の三木城攻めの時、別所氏方として高橋左衛門はいち早く三木城へ入り、兵糧輸送の任務を受け、神戸北区山田町にある丹生山砦(たんじょうさん)を守りました。

『参考文献を参照』

 

  
糧の道
  「糧の道」

毛利輝元が明石魚住の浜から兵糧を入れようとした通路は秀吉に察知され、輝元は神戸花隈城に入れました。

花隈・六甲山越え・丹生山・淡河を通って三木城へ入れたそうです。

高橋平左衛門は丹生山の南口を守っていたんだね。
 

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