栗山善助屋敷跡
兵庫県姫路市手柄

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  姫路市街の南、姫路市役所の通りを西へ、栗山西交差点を南に曲がると栗山善助屋敷跡(くりやまぜんすけ)がありました。

 
  黒田官兵衛筆頭家老、黒田二十四騎・黒田八虎の一人栗山善助守利の屋敷跡だね。

今では灘菊酒造の敷の一画は字名を「栗山字古屋敷」「手柄字古屋敷」としており、「栗山善助屋敷跡」と云われています。
  

 


播州・姫路 地侍の子。 通称四郎右衛門、黒田官兵衛の若年期から側近として仕えました。

有岡城(伊丹城)陥落のとき地下牢から官兵衛を救出し、関ヶ原の戦いの折には、九州席巻に直属軍団の筆頭として活躍しています。

官兵衛は、慶長9年3月20日、機内山城・伏見城下の黒田家伏見屋敷において五十九年の生涯を閉じました。

今わの際に藩主・長政と善助を呼び、両名に対して確かと申し付けます。

「朱塗合子形冑は善助に与える。 今より後は、この冑を吾等と心得よ。 善助は以後、長政を我が子と思って指導せよ。 長政は、この冑を持つ善助の諫めに背くことは相ならん。」

官兵衛の没後も、九州筑前・福岡藩52万3千石の国老として長政の治世を助けました。

「黒田騒動」の一方である栗山大善はその子息です。

『現地案内を参照』

 

   
  このバスの中に黒田二十四騎の人物がいるんだ。

善助だけあって、背の高いバスだよ、トールだよ。
 

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