黒井城下館
兵庫県丹波市春日町黒井

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  社町から175号線を北上し、春日町の立野交差点をJR福知山線が走っている方(左側)へ入ると黒井城への登山口があります。

その麓、興禅寺が黒井城下館(くろいじょうしもやかた」と云われています。

 
  黒井城の麓「興禅寺」は、当時の下館と考えられています。

ここでお福、つまり徳川家光の乳母・春日局が生まれたんだよ。
 

 
戦国時代、この寺域一帯は、後背の山城黒井城の下館でしたが、天正七年八月、明智光秀の丹波攻めで落城します。

その戦後処理と西丹波一円の統治のため、ここに入ったのが光秀の重臣・斎藤利三です。

今でも斎藤屋敷の伝承が残り、水濠と高石垣・白のねり塀のたたずまいは往時の景観をよく残していて国の史跡の一部となっています。

この年の暮、母お安との間に生まれたのがお福(後の春日局)で、寺内にはお福の産湯の井戸や「腰かけ石」など残り、幼い日の春日局をしのぶことができるのです。

『現地案内を参照』

 

  
腰かけ石
  「腰かけ石」

お福はこの地で四歳まで過ごしました。

父が処刑された後、十七歳の時には稲葉一鉄の長男・重通の娘婿である稲葉正成の後妻になります。

この正成は、関ヶ原の時に小早川秀秋を家康方に寝返えさせた人物と云われています。

それを知った家康がお福を迎えたという話です。
 
産湯の井戸
  「産湯の井戸」

秀忠は、お江の方の間に生まれた国松を跡継ぎにしようとした時、お福は家康に直訴してたことで、家光が三代将軍になりました。

家光の名前、気になるね。

家康と光秀からもらったのかな、その理由がお福と関係あるかもしれないね。
 

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