むかしこのあたりの領主だった堀相模守は、領民から慕われていたが、死を目前にした時、「自分の死後、全ての財産を自分とともに墓に埋め、もし災害がおきて皆が苦しむことがあったら、墓を掘り返して、村を救え」と言い残して死んだ。
人々は遺言を守って遺骸とともに財産を埋めた。
後に墓を掘り返そうとしたものは、いずれもひどい目にあったそうだ。
村人は、印に植えたベロ(アシビ)の木の下に眠る相模守が、村を守ってくれるとして「守りの塚」と呼んで子々孫々に伝えたという。
その「守りの塚」は、武庫川対岸の小高い林のなかにある。
『現地案内を参照』
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