康暦二年(1380)、恋の浜城主・三木通近(姫路市白浜)は、別所氏から通重を養子に迎えて赤松氏の部将となりました。 そして三木通重が長尾通朝と名乗って福泊構に入り、弟朝重の子・重朝がこの的形城を守りました。 三木通重(長尾通朝)の子・通武は英賀城主になり、秀吉の播磨攻めの時に三木城主・別所長治とともに対抗するのです。 しかし三木城落城の後、三木氏は九州へと移りました。 『参考文献を参照』