文久3年(1863)、加古川河口に広がる中洲の向島南端に築かれた台場で、当時は大砲が3門据え付けられていました。
高砂向島台場築造以前は、下流側に川口御番所、より上流側には常番所(高砂常番所)の2個所の番所を設けて高砂江の警備にあたりました。
また文久4年(1864)には、台場の西隣に湛保(たんぽ:人造の港)が築造され、祠には港の施設などを築いた三代目工楽松右衛門らの名前が刻まれています。
この祠は、西側対岸の南材木町にありましたが、昭和4年に移築されています。
現在も堤防の基段部分に当時の湛保の石垣が残っているのです。
『現地案内を参照』
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