妙楽寺城
兵庫県豊岡市妙楽寺

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播但連絡道の「和田山IC」から国道312号線を北へ走り豊岡市街に入ります。

JR豊岡駅の南800m、JR山陰本線の西側の山には妙楽寺城(みょうらくじ)がありました。

 
  山の中腹にお寺がある、妙楽寺と思ったけど、地図には福祥寺とあるよ。

山がお寺を囲んでいる、東・北・西の山頂に郭があるらしい。

明徳の乱で、山名氏の内紛があった所と云われているよ。
 

 
全国の六分の一を領有した但馬の山名氏は、山名宗全の二代前・時義が此隅山城を築き本拠としています。

明徳元年(1390)、将軍・足利義満は、時義の生前にないがしろにされたことで、時義の子の時煕・氏幸兄弟とも対立するようになるのです。

足利義満は山名氏内紛を利用して、山名氏清・満幸に時煕・氏幸を討つように命じました。

この時、追われる身となった時煕、氏幸が築いたのが妙楽寺城と云われています。

『参考文献を参照』

 

  
京極家墓所
  「京極家墓所」

妙楽寺の東、三坂の山裾にあります。

瑞泰寺跡は豊岡藩主・京極家が開基した菩提寺です。

少し奥には「大石りく ゆかりの史跡 石束家・木下家の墓地」があるよ。

お父さんが石束源五兵衛、母、弟、そして叔父さんが木下氏だね。
 
京極家
  「京極家」

実際のお墓は上の写真の左奥にある。

写っていないけど、横に沢山並んでいる、すごいなと思うよ。

寛文八年(1668)、京極家は丹後の田辺城から移りました。

二百年続いて、九代・高厚氏は明治四年に豊岡県知事となっています。

  
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