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赤松一族の宇野重氏が城主です。
建武三年(1336)、後醍醐天皇に叛旗を翻した足利尊氏が九州から東上してきました。 それを天皇方の新田義貞、脇坂義助や児島範長・高徳父子らは備前で迎え討つのです。
しかし岡山県での「福山合戦」「三石合戦」で敗れ、今木・大宮・松崎など二十七騎は東へ落ちのびて、この那波浦を通りすぎました。
それを聞いた重氏はあとを追い、六騎になった一行を阿弥陀宿で自決させました。
貞和年間(1345-50)、赤松則祐の子である義則(満祐の義父)が、この那波浦城を築城しました。
天正七年(1579)、秀吉に攻められた時、城主・越智為親は城に火を放ち、自刃するのです。
『参考文献を参照』
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