中国自動車道「加西IC」から24号線を北へ、満久交差点を東へ曲がります。 加西市立泉中学校を少し過ぎたあたりを南に入ると内藤氏屋敷跡(ないとうしやしき)がありました。
常陸国宇野の住人である内藤左衛門佐盛勝が足利尊氏に付いて、加西市の馬渡谷の地を賜りました。 康永元年(1342)、盛勝は馬渡谷城を築き、以後、俊次、左京進盛次と続きました。 しかし盛次の時、馬渡谷の名が武門の家にとって不吉であるとして、文明4年(1472)頃に満久城を築きました。 その満久城の南に屋敷があり、井戸も存在していたと云われています。 『参考文献を参照』