中津構居
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兵庫県加古川市加古川町中津
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加古川バイパス、「加古川ランプ」で降りて、18号線を北へ走ります。 中津と大野のバス停の中間ぐらいの交差点を西へ、加古川近くまで進むと権現神社(熊野神社)、そこが中津構居(なかつ)です。
2004年8月、真夏の加古川自転車探索、北にある国包構居から加古川沿いに南下してきたよ、くらくらしてきたので、ここで一休み。
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梶原氏は相模国の出身で、景時は源頼朝に仕えて播磨に移り、高砂城を拠点としていました。
相模だから鎌倉権五郎景政と呼ばれていたのかな、権五郎だから権現神社なのかな。 |
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播磨鑑には梶原冬庵古城とされ、天正六年(1578)の秀吉による三木城攻めの時に、鎌倉権五郎景政の末裔が神吉城で討死したとあります。
また播州古城記にも、鎌倉権五郎景政の末裔・梶原十右衛門(冬庵)の居城で、神吉式部貞範に従い討死とあります。
『参考文献を参照』
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「権現神社」
神社の奥、当時の土塁かな、光で目もかすむよ。
境内で一休みしようと思ったけど、同じような人が真剣にメモとったりしてた。
「自転車のおっちゃんが寝てた」と書かれそうなので、背筋伸ばし笑顔の自転車で立ち去りました。
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「加古川水管橋」
丁度、橋の向こうの所に権現神社があるよ、この橋が目印だね。
この橋を渡るのは初めて、この辺りは「升田堤」といって1658年に姫路城主・榊原忠次によって整備されたらしいよ。
左の山が日岡山、そこに「風土記の道」がある。
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「風土記の道」
ここは加古川の西側だよ、びっくり。
日岡山にあった「風土記の道」と同じ標識がある、加古川の東からずーと西へ続いているんだね。
どこまで続いてるか見たいけど、自転車は北へ走るね。
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