野村城主は3つの説があります。 1.文明元年(1469)から天文年間(1532-54)まで野村氏の居城でした。 2.城主名は不詳で、三木城主・別所氏の幕下といわれていた。 3.天正六年(1578)、秀吉の中国平定出兵の時、秀吉の幕下に参加し、天正八年(1580)の三木城攻めでは法界寺の裏山の防御を落として、善祥房砦を築いたといわれる宮部善祥坊(継潤:つぐます)です。 宮部継潤は三木合戦や鳥取城攻めで戦功を立て、のち鳥取城主になった人物です。 『参考文献を参照』
「八幡神社」 厄除けの大神の話。 九州の宇佐八幡に向かう和気清麻呂が道鏡の家来に襲われた時、一頭の大猪が現れ、清麻呂を救いました。 それ以来、大神様として崇拝されるようになりました。 この話、岡山の和気郡の北曽根城で書いたね、岡山に行きたくなってきたよ。