阿形城、来住城、岡城、赤松氏館
兵庫県小野市阿形町、 来住町、 粟生町、 下来住町

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「万才橋南」交差点で349号線に入り、そのまま「大住橋」で加古川を渡ってから81号線を北上します。

小野市の「地図と風景の宝探し」の2回目は小野市の南西方面だよ。 ほんと宝探しは楽しいよ。

 1回目 (河合城、小堀城、堀井城)
 2回目 (阿形城、来住城、岡城、赤松氏館)
 3回目 (池尻城、下司館、垂井城)
 4回目 (鯰坂城、葉多城、敷地陣屋
 5回目 (曽我井城、八王子神社城、島村城、久保木城)
 6回目 (小田城、豊地城、屋口城)

 

 


「阿形城(あがた)」

十二代・景行天皇と八坂入姫との第四子・成務天皇の頃、大和朝廷が支配する地方行政の単位を「県(あがた)」とし、県の豪族を首長として県主(あがたぬし)と呼んでいました。 この県が阿形城の名前の由来といわれています。

天正九年(1581)、三木城主・別所長治の家臣であった城主・油井土佐勝利は「三木合戦」に参加し、秀吉によって三木城とともに落城しています。


「来住城(きし)」
正和二年(1313)、清和源氏・多田満仲の子孫である来住安芸守惟友によって築城されました。
天正年間(1573-92)、来住景政は子・景利とともに別所方について「三木合戦」に参加して戦死、そして廃城となりました。



「岡城(おか)」

金鑵城主中村正満の家臣・丹生太郎左衛門が城主といわれています。 嘉吉の乱後、赤松家再興のために行われた「長禄の拳」に参加、そこで討死をしています。

「長禄の拳」は初めて聞く言葉、赤松浪人が赤松家再興の手段として吉野南朝にあった三種の神器の一つ「匂玉」を奪回した事だと思うのですが、再度調べてみます。(わかりしだい、この部分は修正します)


 

 
  「阿形城」

JR加古川線の「粟生駅」から81号線を少し西へ、加古川からの支流「万願寺川」が分かれるあたりに「若一神社」があります。

神社から南方向を見るとこの風景が目に入ります。

こんもりとしたかわいい丘、周りは溝だから入れるのは右側の奥からだよ。
   
  「本丸かな」

地元の方に聞くと、ここは陣山と言うらしいよ。
外から見るとかわいいけど、中は南へと台地が続いて広いよ。

東側(上の写真左側)に井戸があったらしい。 後で外から回ってみたのですが、溝があって入れないよ。 (危ないから入ってはだめだよ)
 

  
  「来迎院の五輪塔板碑」

阿形城から北へ1.5km、「粟田橋」の西側だよ。 兵庫県でも五輪塔の板碑は珍しいらしい。

ここの境内には、姫路城主・本田甲斐守が催した茶会の時に使った「清水の井戸」もあるよ。

地面に石で囲ったところかな、でも中は掘ってないし。
 
  「河合屋敷跡」

来迎院から23号線を北側に渡って西へすぐ、周りが石積みの塀で囲まれた広い場所だよ。

金鑵城の中村氏が嘉吉の乱で没落した後、河合義隆が赤松家の再興を期して隠れ住んだ所だよ。

第二次世界大戦の時、竹で旗を作って兵士を見送った所らしい。
 

  
  「近津神社」

河合屋敷跡から23号線を西へ1kmぐらいかな。

この鳥居は天正20年(1592)に造られた重要文化財だよ。
よく見ると太くて、上が曲がって、ほんと味のある鳥居だよね。

整然と並んだ灯篭もいい、夜に灯がともる時どんな風に見えるかな。 見てみたい気もするけど、一人では行けないし。
 
  「来住城」

阿形城から81号線を南へ2km、来住小学校から西へ500ぐらいかな。

今は畑になっているけど、周囲から2mぐらい高くなっているよ。 これは夏に来た時の写真だね。 私有地だし、中へは入れないと思うよ。
 

  
  「常楽寺」

来住城から東の小学校方面に戻って、線路を渡ってから81号線を南へ200mぐらいの集落の中にあるよ。

ここは、「ハメヅカサン」と呼ばれる「蝮塚」があってマムシから身を守る札を求めて多くの参拝があるよ。

札をもらいたかったけど、閉まっていた。 昔の人はほとんど山道みたいな所を歩くからマムシもよく出たんだよね。

夏場の山城探索までには絶対に必要だよね。
 
  「岡城へ」

阿形城が見える「若一神社」の道を西へ、万願寺川の「西脇橋」を渡って、すぐ北に入ります。

この階段へは踏切りの無い線路を渡ります。 これがすごくドキドキするよ。
 

  
  「岡城」

城主・丹生太郎左衛門の妻は、夫の菩提を弔うために自性庵を建て、出家しました。

森岡の地には五輪塔や無縫塔が残されています。

城跡はこの場所なのかな、少し北側のような気も、いや南のような気もするけど。
 
  「常光寺」

加古川線の「小野町駅」から地図上は南へ200m、気持ちは西へ。

この上には、安政五年(1858)に巡礼道が造られました。 上にある石垣が城跡によく似ているよ。

常楽寺の「蝮塚」はここから移されたそうだよ。
 

  
  「赤松氏館跡」

右端の青い所ぐらいに「常光寺」があるよ。
赤松一族の館があったらしいよ、もう少し南かもしれないけど。

掘と土塀が残っているけど、山の中に何かあるのかな。 入りたくなったけど、夕方だからまたの機会にするよ。
 
  「福甸古墳」

読めるかな、福甸(ふくでん)だよ。 来住城から北西へ1kmのところに鴨池がある。

その池の西に皿池があって、道から池の北側のアゼを少し歩くよ。 意外なところにあって、後ろが池だからうまく写せないよ。
 

  
  「鴨池」

今回の小野市宝探しは、この池で終わりだよ。

すごくきれいな池、鴨が沢山寄ってくる。 「女池」では白鳥が沢山いて、遠くから静かに眺めていたよ。

次は小野市の北側に行きたいね。 地図を見ながら探すのは本当に楽しいよ、次回も楽しみだね。
 

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