太子龍野バイパス、「太子北IC」から少し西の国道179号線を北西に走り、林田川の永久橋を渡ると北側50mほどの民家の中には広山霊神社、そこが大隅構居(ひおおすみ)です。
ここから東、林田川の向かいには誉田町内山という地名があります。 文治年間(1185-90)、内山城主・塩津義秀は赤松氏に属して、「嘉吉の変」の時には明石の和坂合戦に参加しています。 のち、義秀の子・義信は仏門に入り、その子・義元がこの地に移り大隅構主となりました。 のち200mほど北西の新屋敷に移った後、神社が建てられています。 『参考文献を参照』