西条城
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兵庫県加古川市八幡町中西条
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加古川の東岸を北上します。 日岡神社がある山を東に見ながらそのまま北へ、加古川が右へ急カーブする所で南側の県道383号線へと入ります。 すぐ前には標高85mの山頂に西条城(さいじょう)があります。
ここも赤松円心の旧跡、もう何百回と通った加古川は、遠く古墳時代の面白さも教えてくれてるよ。
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北側から見た西条城の山です。
頂上からの眺めはすばらしい。
東は六甲、南は瀬戸内海、西には家島群島そして北は加古川の清き流がゆったりと流れています。 |
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この西条城のことは赤松氏と関係する城ということぐらいしか分かっていないのです。
今回はお城から更に千年以上も前、古墳の話になります。
九州の吉野ケ里遺跡、大坂の池上曽根遺跡が「邪馬台国」と関係があると言われています。 また最近、2004年3月12日の新聞では、奈良県明日香村の島庄遺跡から蘇我馬子の邸宅、そして4月15日には同じ明日香村のキトラ古墳から「十二支像」のトラの壁画が紙面を飾っています。
この東播磨でも多くの古墳が発見され、加古川の下流域では西条52号古墳が一番古く、また少し南の日岡山には景行天皇の皇后つまりヤマトタケルの母である印南別嬢が葬られた日岡古墳があります。
この2つの古墳のうち、西条古墳の築造方法は西播磨でよく見られ、出土された壺も上東式という吉備系の土器だそうです。 一方、日岡山古墳からは三角神獣鏡や石製腕飾りなどが出土され、東の畿内と密接につながったことを意味しています。
新聞では邪馬台国が九州か畿内かという話で論争されるけど、一見関係なさそうな加古川にある古墳も文化の中心が西から東に移ったことが分かるから、そういう目で見ると「邪馬台国はどこにあった」という話も一段と面白くなるよね。
『参考文献を参照』
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「石棺」
山の西南にある「城山霊園参道」の入り口にあるよ。
1300〜1400年ぐらい前のもので、裏にくり抜きが彫っている。 後世に古墳から掘り出され、何かに利用されていたらしい。
ここからも登れるし、200mほど東の社がある所からも登れるよ。 |
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ここは、霊園から登った山頂に石碑が2つある所だよ。 東側から登る道の途中にも石積があった。
お城に使われていたのかは不明だけど、そう思う方が楽しいよね。 |
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「愛宕神社」
山頂には神社が祀られています。
この北側から見た加古川の流れと広がる平野はバツグンだよ。 |
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「権現池」
城跡から北へ3kmぐらいの所かな、でも加古川に架かる橋を渡らないとだめだよ。
加古川の平荘湖へはよく行くけど、そのすぐ北東にもきれいな湖があるんだね。
川と言えば加古川しか知らなかったけど、その加古川にも昔を語る跡が沢山あるんだよね。 |
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