阪本城
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兵庫県神戸市中央区楠町
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神戸駅を北へ歩くと湊川神社があります。
神社から北へ坂道を歩くと大倉山公園、そこには阪本城(さかもと)がありました。
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地元では楠公(なんこうさん)と呼ばれる湊川神社は、楠木正成が祀られている。
西に歩くと湊川陣所と云われる会下山公園、ここは大倉山公園だよ。
明治の頃、大倉喜八郎が安養寺山に建てた別荘があったから大倉山という。
伊藤博文も住んでたらしいよ。 |
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元弘元年(1331)、後醍醐天皇は二度目の鎌倉幕府打倒の計画も失敗、隠岐に流されました。
元弘三年(1333)、隠岐を脱出した天皇は鳥取県の船上山に籠ると、幕府方の足利尊氏は京都亀山で倒幕方となり、千種忠顕や赤松円心らとともに京都六波羅を攻め、北条仲時は自害し鎌倉幕府は滅亡するのです。
しかし後醍醐天皇の建武の新政は武士たちの反発を生み、尊氏は鎌倉に入ると天皇方と対立するのです。
建武三年(1336)、箱根竹ノ下の合戦で新田義貞を破った尊氏は京都に入るのですが、陸奥の北畠顕家や楠木正成の軍勢に京を追われ、九州へ落ちました。
九州で勢力を回復した足利軍は京を目指して東上、それを迎え打つ天皇側の総大将・新田義貞は神戸の和田岬に陣を構え、楠木正成が構えたのがここ湊川とともに阪本城なのです。
天正六年(1578)、三木城主・別所長治が信長に叛き、続いて伊丹有岡城主・荒木村重も反旗を翻しました。
天正七年、村重は有岡城を脱出し尼崎城に移ると、有岡城は落城、三木城も落ちたのですが、花隈城は頑固に抵抗したのです。
信長が池田恒興、輝政親子に花隈城の攻撃を命じた時、恒興の家臣・伊木氏や森寺氏が陣を構えたのが阪本城です。
『参考文献を参照』
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「大倉山公園」、簡単に来れると思っていた。
神戸駅を山側に出る、真っ直ぐ歩いてたら西へ向かっている。
地図見ると神戸駅はほぼ南北に建てられていると知ってる人は少ない。
もっと甘いのは、神戸駅から北へ有馬街道が通じている。
国道428号は有馬街道、そのまま国道を走る、いつの間にか三木市に着く、神戸は奥が深いなあ。 |
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